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教会 
五島列島には数多くの教会があります。
海岸沿いの洞窟、また急傾斜の山あいに点在する十字架など、
300年余りもの長い間厳しい弾圧に耐え、
守り続けてきた信者の深い信仰がうかがわれる。

五島列島の主な教会をご案内します。

井持浦教会 (福江島) 青砂ヶ浦教会 (中通島)
堂崎教会 (福江島) 頭ヶ島教会 (中通島)
水之浦教会 (福江島) 江袋教会 (中通島)
貝津教会 (福江島) 鯛ノ浦教会 (中通島)
三井楽教会 (福江島) 桐教会 (若松島)
楠原教会 (福江島) 大曽教会 (中通島)
旧五輪教会 (久賀島) 中ノ浦教会 (中通島)
    福見教会 (中通島)

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井持浦教会 ルルド(福江島)
明治28年に創設された時ペルー神父より提案され、2年後日本最初のルルドが完成した。フランスの聖地を模し、五島各地の信者が奇岩・珍石を採取して漁船で運び込み作り上げたもので、傍らの井戸もルルドの霊泉に模して掘られ、フランスのルルドの霊水を運び混入して祝別された。
島内だけでなく、全国の信者の聖地となっており今も多くの信者が訪れている。
堂崎教会(福江島)
永禄9年、宣教師アルメイダが五島で初めて初期キリスト教を伝道。以来、19代領主が洗礼を受けるなど普及し始めたキリスト教も、秀吉の禁教令以降徳川幕府の弾圧にあって絶えてしまった。明治6年禁教令が解かれた後マルマン神父が五島に最初に住みつき「かくれキリシタン」となて弾圧に苦しんでいた教徒を発見し、明治12年に初代の堂崎天主堂を建立。
明治41年、ペルー神父が五島で初めての洋風建造物として現在の赤レンガ、ゴシック様式の天主堂を完成した。
1977年、創設100周年を記念してキリシタン記念庭園が増設され、天主堂ないにはキリシタン資料館の設備がなされ公開されている。
水之浦教会(福江島)
白石湾を見下ろす静かな高台にそびえる真白な天主堂は、昭和13年現在地に改築されたもので、ロマネスク・ゴシック・和風の建築様式が取り入れられた珍しい教会である。
約300平方メートルの広さを持ち、天主堂からさらに坂道を登った場所にはヨハネ五島(26聖人の内の五島出身者)の像や、弾圧時代の牢跡もある。
貝津教会(福江島)
大正13年(1924)に建設された木造教会。 同町浜ノ畔郷の民家を移築し、聖ミカエルに捧げられた。 昭和6年(1931)、ステンドグラスが美しい現在の教会に改築された。聖堂内には鮮やかなステンドグラスからやわらかな光が差し込み美しい。
三井楽教会(福江島)
明治13年(1880)に建設されたが、信徒の増加で昭和7年(1932)に教会の両側と二階を増築した。しかし、老朽化が進んだため昭和46年(1971)、モザイクタイル張りの美しい鉄筋コンクリートの教会に建て替えられた。美しい壁画で彩られ、切支丹資料館も併設されている。
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楠原教会(福江島)
明治元年(1868年)、五島でも厳しいキリシタン迫害の嵐が吹き荒れ、岐宿町楠原地区でも信者33人が捕らえられて、狩浦喜代助宅を改造した仮牢屋につながれた。  その後、水ノ浦の牢屋に移され、各地から集められた信者68人とともに釈放される1871年まで牢につながれた。棄教を迫る厳しい拷問が毎日のように続いたが、全員が信仰を守り続けた。
この楠原教会は牢屋から出されたキリシタンたちが、こつこつと30年かけて浄財と奉仕で建てた明治期を示す優れたレンガ造りの教会で明治44年設立。
近くには牢屋も復元された。

旧五輪教会(久賀島)国の重要文化財
明治14年に建てられたとみられ(現在地には昭和6年頃移築)下五島の木造教会では最古のもの。重層の屋根、ポインテットアーチの窓は両引きで壁の中に入るなど珍しいやり方である。海辺の狭い土地に建てられているが、信者の熱い信仰の気持ちが伝わってくる。
平成11年3月、国の文化財に指定された。
青砂ヶ浦教会(中通島)国の重要文化財
青砂ヶ浦海岸の丘の上に建つ赤レンガ造りの教会です。
明治12年(1879)ごろ、青砂ケ浦海岸南部の丘に山を開いて建てた集会所風のものが最初であったが、現在の天主堂は新魚目町丸尾の出身でペルー神父やドロ神父らによって洋式建築法を習得し、天主堂建築士として名を残した鉄川與助の設計、施工によるもので、明治四十三年(1910)落成献堂したものであり、青砂ケ浦では3代目の天主堂である。
美しいステンドブラス、規模の大きさ、細かい細工など、見る人を圧倒する。
2001年、国の重要文化財に指定された。
頭ヶ島教会(中通島)国の重要文化財
明治43年(1910)に着工され7年余りの歳月をかけて造られた。
天主堂は小規模ながら、全国的に類例のない石造りで、地元の石を使用している。施工者は隣村魚目の鉄川與助。大崎神父の設計指導のもとに長崎から石工を招き、まず、司祭館で試した後、本格的に壁建造を進めた。入り口や窓はロマネスク風のアーチ型。内部は木造で、船底(持ち送り)天井が印象的である。簡素な中にも神の家にふさわしい天主堂をより美しく仕上げている。
江袋教会(中通島)
明治15年(1882)6月に建立されたという木造教会。設計者、施工者ともに不詳である。現存する木造教会の中では、県内でも最も古いといわれている。外壁などに修理の跡が見られるが、当初の形態がよく残されている遺構である 。
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鯛ノ浦教会(中通島)
明治14年(1991)の建立。昭和54年(1979)、現在の教会にに改築された。現在、資料館などとして利用されている旧聖堂は明治36年に完成した木造の建物の正面に、戦後すぐレンガ造りの鐘楼が増設されたものである。その鐘楼外壁のは被爆した浦上天主堂のレンガも使われている。
鯛ノ浦教会といえば、ルルドが有名。 説明板によると、ルルド建設を進言したのは、郷土出身の中田秀和画伯。信徒会から設計施工の同意を受けて1962年、工事に着手。信者の勤労奉仕で1963年に完成した。ルルドは同画伯の代表的な作品。近くの山から湧水をひいている。
桐教会(若松島)
外海地方より移住した信徒により信仰の種がまかれ、パリ外国宣教会のフューゼ師によって、明治30年(1897)中五島最初の小教区として設立されたその後、当小教区の巡回教会であった浜串、土井ノ浦そして真手の浦が小教区として独立した。現在の聖堂は、昭和33年(1958)改築され、8月29日山口大司教によって祝別、献堂された。
白壁に赤い屋根の桐教会は、90年余の歴史を刻み、若松の瀬戸を往来する船舶の航海の安全を祈るかのように、丘のうえに佇立している。桐教会復活期の指導者、下村善七・ガスパル与作親子と清川沢次郎翁を顕彰する信仰先達者顕彰碑が、昭和46年(1971)教会境内に建立された。
大曽教会(中通島)
最初の天主堂は明治十二年(1879)、現在の天主堂から少し西方に位置する小字裏迫というところに建てられた木造の建物であった。当時の信者は二十数戸であったので、建造物も小さかった。  
今の煉瓦造りの教会は、青砂ヶ浦教会と同じく、新魚目町丸尾出身の、鉄川與助の設計、施工によるもので大正五年(1916)に完工した。同年八月六日にコンバス司教によって献堂されたのである。

中ノ浦教会(中通島)
大正14年(1925)に建立された木造教会で、波静かな中ノ浦に優美な姿を映している。木造教会では珍しい高い尖塔は昭和41年(1966)に増築されたもの。メルヘンチックな外観と同様に、堂内も明るく華やいだ雰囲気に満ちている。列柱上部の白壁には五島特産の椿をモチーフにした装飾が施され、ピンク色の天井にも花柄が連続している。
福見教会(中通島)
大正十三年(1924)四月二十九日、ヒュウゼ師によって聖堂が建てられ献堂されたと、一般的に伝えられている。
しかし一説によれば、同教会が最初に建ったのは明治十五年(1882)。その二年後に大風で崩壊した。その後、大正二年(1913)、信徒の奉仕で教会は完成したともいわれている。いずれにせよ、長い年月の間に建物が傷み、改築など人の手が加えられ、今の教会の姿になったと思われる。
教会は、左右にステンドグラスが張られ、高い梁張りの船底天井などエキゾチックな雰囲気が漂っており、高さ四メートル、長さ三十二メートルの海岸の丸石で積み上げた石垣の上に建っている。
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